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去年の目標は 「自分に起こった出来事を自分の問題として意識できるかどうか」


つまり 「相手を変えるのではなく、自分を変える」 という言葉を自分のものにするために
年間を通して続けていたことは

「私の焦点は(相手か私の)どちらを向いているか」 を つねに意識することにありました。



放っておくと、常に相手や外側の事象について、
勝手にアレコレと話し始める頭の声を牽制すべく、

「私は(相手の間違いを探し出して)正しくありたいのだろうか、それとも自分を変えたいのだろうか」
と自問し続けていました。


最初は曖昧だった意識も、
少しずつ、焦点は自分か相手かという部分においてのみですが、
気づける瞬間が増えていきました。

そして去年一年を通して、焦点が私から外れている瞬間を沢山眺めてきました。

そんな気づきの中、
意識しなければ、
焦点は自動的に外側・相手に向けられる
(責任転嫁される)のだな…ということがよくわかりました。

また、
自分のことが見えてくると他人のことも見えてくるというのは本当で、

最近は他の人の発言を聴く中にも、
その人の焦点がどちらに向いているか、
また、私の焦点をどちら側に向けさせようとしているのかが解るようになりました。

この部分が私の中ではっきりすると共に、他人の意見(分離側意識)に
巻き込まれなくなっているような気がしています。


そして

意識の焦点を自分に合わせることが出来始めたところで 

今年2011年の年間目標 

待望の自分の棚卸し「現状把握」に取り掛かろうと思います。


私の内側(精神)から外側(肉体・物質)の部分まで 

何を持っているのかを「知ろう」と思っています。

隠していても、あいまいにしていても あるものはあるのです。

あっても・・ 知らないことには手が打てません

だから まずは「知ること」「知ろうとすること」

知るための第一歩として 目で確認出来る状態にするのです。



詳細は また後日書きますね☆

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久しぶりに記事を書いています。


ブログを書いていなかった間も 今までのペースを保って

感知プログラムは聴き続けていました。


この一年は 日々の気づきを、まとめた形で文章化することが出来ませんでしたが

今からは文章化していこうと思います。



現在、下関で開催されている重見幸俊さんのセミナーは 8年目に突入しています。

8年目のテーマは 「成功のためにすべきこと」

いよいよ実践編です。


実際に行動しようした瞬間や 新しい習慣を定着させるまでの過程で

無自覚・無意識に立ち上がる、

しないための言い訳や 自分の欠点から目を逸らすための自己弁護を

7年掛けて理論武装された顕在意識は見逃しません。


今からの実践・行動記録を記していきます。

お楽しみに♪





今日の職場にて。

作業場に掛けてあった日めくりカレンダーをふと見ると

この言葉が書かれていました。



「人間万事塞翁が馬」



このことわざの意味はなんでしょう。

それは・・

「人生は吉凶・禍福が予測できないことのたとえ。」 (広辞苑)


ここで言う人間とは人の間、つまり「人の世の中」を差し、塞翁というのは、砦の守衛の老人。
「世の中は全てが塞翁の馬のようである」という言葉。

話の内容を紹介すると・・
 
 中国のある国境で守衛をする老人がおり、老人は働き盛りの息子と馬と一緒に暮らしていた。
ある日、貴重な財産である馬が国境を越えて逃げて行ってしまった。
それを知った村人達は慰めてくれたが、
「そんなに悪いことではないかもしれない」と老人はあまり悔やんでいない。

しばらく時がたったある日のこと、逃げた馬が駿馬を連れて帰ってきた。
それを知った村人は喜んでくれたが、
老人は「いや、そんなにいいことではないかもしれない」と、
今度はあまり喜ばなかった。

数日後、駿馬に乗っていた息子が落馬してしまい足の骨を折ってしまった。
村人は見舞いに来て、老人を気遣った。
すると、また老人は「そんなに悪いことではないかもしれない」と語る。

その直後、緊張状態にあった隣国と戦争が始まり、その国のほとんどの若者は徴兵されたが、
老人の息子は骨折していたために徴兵されることはなかった。
戦況は厳しく、その時徴兵された若者のほとんどが帰ることはなかったが、老人の息子は命長らえた。


つまり、

人生 思いがけないことが幸運を招いたり、不幸に繋がったりして
誰にも予想はつかないということ。

また だから やたらと喜んだり悲しんだりしても始まらないということ。


を例えているのです。




私は この「人間万事塞翁が馬」という言葉を眺めながら
不思議な気持ちでいました。

ちょうど 似たようなことを考えていたからです。



最近の事ですが・・ 
私はある友人の言葉をきっかけに 私にとっての大きな気づきがありました。
私は友人のその言葉を聞く事ができたことに大変な幸運を感じているのですが
よくよく考えると あの日あの時友人と会う前段階には私にとっての不都合がありました。

本当はその日、私は別のところに行きたかったのです。

でもそれは叶わなかったので、かわりに友人の家に行っていたのです。


つまり 行きたい所にいけなくなったことは 
起こった瞬間は残念でもあり、不都合と感じていたことであったのに
今振り返ると 行けなくなった事が幸運の始まりなのです。
結局、あの時行けなくなったことは、後日とても良かったことになってしまったのです。
あの時行けなくなって本当に良かったなぁなんて・・今では心底思っているのです。


同じように 過去の辛い体験が 
数十年経った今、体験して良かったと思える出来事に変化したりしています。

あの経験があったからこそ今の自分が存在する。

そう思えたとき・・ 
その出来事を引き起こした自分に対する後悔の想いがきれいに消えました。

そして、その出来事を経験できたことに感謝の想いがわくようになったのです。



過去の出来事は変えることは出来ない。 

けれど 出来事に対しての解釈や思い・感情は変えられるのです。




「過去の不幸は現在の幸福にもなり、過去の幸福は現在の不幸にもなる。」

そう思えた時から・・ 
悪いと思える状況が訪れることに対しての不安感が減りました。

何かがこの先起こっても
「この体験も将来どっちに転ぶかわからないなぁ」と客観視が出来る気がしているのです。


そして今日、目に飛び込んできた「人間万事塞翁が馬」という文字が
その考えを後押ししてくれているように思えて楽しくなりました。




 世の中には、私の力ではどうしようもないことがありますね。

だけど、私しだいで変えられるものも確かにあるのです。



だったら、と

動かすことの出来ないものはそのままに
動かせるものに対してエネルギーを使おうと・・ 心が定まった気がしています。




今日の報告 
テープトレーニング 潜在能力感知開発プログラムへの招待②~⑤ 8H
読んだ本 自分から自由になれるゼロ思考 佐田弘幸

潜在能力感知開発プログラムの中に
サブリーダープログラムとよばれる本編とは別のシリーズがあります。

私はこの中の「自分をみる恐怖」というテープ(2時間)を聴くのが好きで
よく聴いています。
(これぞ!と思ったテープは特に繰り返すこと・・・このテープは60回以上聴いています。)

そして、このテープの中で紹介されている本、「愛の錬金術」の中の一節が、
はっきり解らないままにですが、
この2年の間、私の中でずっと繰り返されていました。


愛の錬金術 上巻―隠されてきたキリスト愛の錬金術 上巻―隠されてきたキリスト
(2000)
バグワン・シュリ・ラジニーシ

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(本文より一部抜粋)

「自己知識」とは最もむつかしいことだ。
そのことがむつかしいからではなく、
あなたがたが自分自身のことを知るのを恐れているからだ。

 深い恐怖がある-。
 
誰も彼も逃げようとする。自分自身から逃げようとする。この恐怖を理解しなければならない。
そして、もしこの恐怖があるとしたら、あなたが何をしようとたいして役に立たない。 
あなたは自分自身のことを知りたいと思っているかもしれない。
が、もしこの無意識の恐怖があったら、あなたは絶えず自己知識を避ける。
あなたは絶えず隠そう、ごまかそうとする。 

一方ではあなたは自分を知ろうとし、他方では、自分を知ることができなくなるような
あらゆる種類の邪魔をつくりだす。
意識的にはあなたはこう考えるかもしれない。「私は自分のことを知りたい。」
が、無意識のなかでは、有意識より大きく強く力のある無意識のなかでは、あなたは
自己知識を避ける。

だから、この恐怖を理解されねばならない。

 なぜあなたは恐れる?

ひとつ、あなたがほんとうに自分自身の内部に浸透していったら、あなたが世間で創りあげた
自分のイメージは偽りであることがわかってくる。あなたの過去全体は無意味になってゆく。
それは夢のようなものだ。
そしてあなたはその中に多くを投資してきた。あなたはそのために生きてきた。
だから、今になってそれが偽りの現象だったと知ることは、あなたを傷つける。
今やあなたの生涯が無駄になってしまった。

それがどんなものであれ、もしあなたが偽りの生を生きてきたとしたら、それが
真正な生でなかったとしたら、もしあなたが真に愛したことがなく、
ただ愛を見せかけていたとしたら、
どうやってあなたは自分自身に出会えるね?

そのときにはあなたは、ことの全体がひとつの見せかけだったことを知る。
あなたは自分が愛しているふりをしていただけでなく、
愛している時には幸福であるというふりさえしていたのだ。
欺いていたのは自分自身であって、他の何者でもない。
そして今、振り返って見ると、内側を見てゆくと、恐怖があなたを摑まえる。

あなたはずっと、自分はユニークなちょっとした人間だと考えていた。
誰も彼もがそう考えている。
自分をふつうではない、何か特別な「選ばれた」人間だと考えることは、
世の中で最もあたりまえのことだ。
しかし、もしあなたが自分をよく見たら、そこにはまったく何もない、
エゴイスティックになれるようなものは何もないことを知るようになる。

そうなったら、エゴはいったいどこで立てるね?
それは倒れる。
塵芥のなかに転落する。

そこには恐怖がある。だからあなたは自分自身を見ない。
見ないことで、あなたは自分に関する夢を、自分自身のイメージを創りつづけることができる。

そして、イメージを創りあげることは非常に安あがりで簡単なことだが、
ほんとうに何かで在るということは、きわめて困難なむつかしいことだ。
人は常に一番安価なものを選ぶ。あなたがたもいちばん安価なものを選んできた。
今となっては、自分自身を見つめることはむつかしい。 (抜粋終わり) 

(ぜひ本を手に入れて続きを読んでくださいね)




潜在能力感知開発プログラムと出会ってから 約2年と3ヶ月。

現在までのテープトレーニングの時間を計算してみると・・・ 
約5000時間となりました。

成長や進歩の速度は人それぞれだとは思いますが
私の場合、ここにきて ようやくスタート地点に立てたような気がしています。

今までテープを聴いていて 私なりの葛藤はありました。
進歩もしているような気持ちになっていました。
けれども 私の関心は私の外側に向けられていたことにようやく気がつきました。

無意識の自分を見る恐怖が自分の中にあったことに気がつけたようです。

様々な人間心理のパターンを5000時間聴きながら、どこか他人事のように感じていたのです。

自分自身、おかしいな・・・とは思っていました。
「テープを聴いていると自分が責められている気分になって聴くのが嫌になる」と
聴いてはいましたが そんなことはほとんど無かったからです。
よっぽど、慢心が強いのかしら・・・(これはこれで当たってはいましたが)
そんなふうに何か変だと思っていました。

もちろん今まで聴いていた間は自分の事として聴いていたつもりです。
でも実際は聴いていなかったのです。
人間の認識は 回顧的理解でおこる・・・
つまり なってみて振り返ってみてわかる世界なのです。

ここ2週間の間に、テープ内容を自分のこととして聴けるように変化が起こりました。

自分のこととして聴けるようになってはじめて 
「ああ今までは他人事のように聴いていたんだなあ」 と今までの状態を知りました。

そして上の抜粋文の中の言葉・・

もしこの恐怖があるとしたら、あなたが何をしようとたいして役に立たない。

が浮かびました。

ほんとうに その通りだな・・と思います。
自分を見ること無くして どんな訓練も効果は期待出来ません。


なので、テープトレーニングは私の中では再スタートとなりました。


これからは 自分の事として聴けると思います。
つまり 聴く準備がようやく出来たということでしょうか。



いつ 本気になるのですか?

いつ 始めるのですか?

今を生きる覚悟はできましたか?




これも 私の中で繰り返されている言葉です。


自分を見る覚悟が出来た今、その問いに自分が答えられる日が近くなった気がしています。

もうちょっとかな・・?



今までとは違う意識領域を広げたい方へ

意識分野の学びは
理解して解って進むのではなく
理解できないけど 進めているとわかる世界です。

訳がわからないままでも潜在能力感知開発プログラムを聴き続けていると、
ある日変化が起こります。

まずは 聴き続けることをお勧めします♪




今日の報告

テープトレーニング 滝部シリーズ セッション1 10h
ある日、電話がかかってきました。愚痴を長時間話すタイプの人からです。

この人とのやりとりは私の長年の悩みでもありました。

頻繁に話すことはないのですが 
その人との会話は近況報告から始まって、
話してる内に その人が今抱えている不平不満へと移行していき、結局 1時間から2時間近く、
愚痴を聞くことになってしまうのが、その人と私の間で行われていた長年のパターンでした。

もちろん、相手の愚痴や不平不満を長時間、聞いていることはしんどくて疲れます。
嫌だけれど・・・、仕方がないなと思っていました。
多少私の気持ちが重たくなったとしても 相手が話すことで気が楽になるのなら、
それが不平不満であったとしても
「話しを聞いてあげることは いいことだ」 と思っていたのです。

そして、相手が成長し、
いつか不平不満を言わなくなる日が来ることを願っていました。



その人はいつものように不平不満を言い出しました。

その不平不満をひとしきり聞いた時 ・・・
私の中でいつもとは違う反応が起こりました。

気づきが起こったのです。

「もう、不満は言わない」を実行し、不満を言う事が自分自身にどんな悪影響を及ぼしていたかを
意識的に知ることが出来たために
人の不平不満を聞くことに対して、私が持っていた認識が変容したのです。


「不平不満を聞いてあげることは いいことではない!」 と気づいたのです。


その気づきが起こったと同時に 

私は、はっきりと 静かに こう言いました。

「私は愚痴や不平不満は言わないようにしているし、言いたくないと思っている。
そして、他の人の不平不満も もう聞きたくないのです。」



こんな発言を不満を言っている人に対して直接ストレートに言ったのは、もちろん初めてです。


この発言を聞いた相手は どんな反応をしたと思います?







なんと! その人は 私に言われて初めて 
自分が愚痴や不平不満を言っていたことに気がついてビックリしたのです。


(私はその人が不満を言っていたことに気がついていなかったことにビックリしましたが(笑))


その人はもともと道徳心の強い人でした。

とっさに自分の普段口にしている言葉と自分の行っていたことの矛盾に気がついた様子で 
恥じるように笑いながら

「ヤダ! ホント、その通りね。これは完全に一本とられたわ。私も気をつけるわ。
それじゃあ またね。」

と電話をきってくれたのです。

さっきまで感じていた私の苦痛は・・・目の前から瞬時に消えたのです。


私の長年解決されなかった問題は あっけなく解決されました。
そのあまりのあっけなさに私は唖然となりました。


そして・・・、よくわかりました。

不平不満は、私が相手に言わせていたのです。 (もしくは私が相手に言う事を許可していた。)


問題の原因は相手ではなく、100%私が原因だったのです。

(その証拠に 原因である私が変わったことで問題が消えました。)


愚痴を長時間、長年に渡って聞くことになっていた根本原因は

「不平不満を聞いてあげることは いいことだ」 と思っていた、私の中の間違った認識。


この認識の間違いに気づいて 
自分にとっても相手にとっても 「不平不満を聞いてあげることはいいことではない」 と
正しい認識へと意識を変容させるだけでよかったのです。

ただ、それだけのことだったのです。


多分、再び 不平不満を聞かされることは起こるでしょう。

けれど 不平不満を聞くことに対する意識が変容した私は
今までとは違う対応をしていきます。

相手によっては、さっきのようにはっきり言ってもいいし、
または 不平不満には反応せず、無関心でいることもいいかもしれません。
思ったような反応がなければ 相手はつまらなく思い去っていってくれるでしょう。



不満を言ってもいいような関係にしたのは私。

この人になら不満を言ってもいいと相手に思わせたのも私。

不満を聞いていることを選んでいたのも私。

一人ではその関係はつくれません。

私自身もその関係をつくっていました。




この気づきは私にとって大きかったです。

「もう、不満は言わない」 の本と出会い、チャレンジしたことによる大きな成果だと思っています。

もう、不満は言わないもう、不満は言わない
(2008/06/05)
ウィル・ボウエン

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今日の締めくくりに 皆さんにも この言葉を贈ります。

あなた自身も その関係を作っている。



今日の報告

映像 NHKドキュメンタリー 復活した脳の力~テイラー博士からのメッセージ~
映画 ガイヤシンフォニー2
  
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