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人は 自分の考え方・感じ方・価値基準を使って相手も同じように考えると推測しがちです。

  私だったら嫌なことだから それをされたあの人も嫌と感じているだろう。

  私だったら嬉しいことだから それをしてもらったあの人も喜んでいることだろう。


この思い込みが、相手の本当の姿を見えなくさせます。

 私が嫌だと感じることを・・あの人は喜ぶかもしれません。



もしも勝手に あの人は嫌だと感じて怒っていると推測し (実際の相手は何とも思っていない)

自分の頭の中の推測・妄想で苦しんでいるとすれば 

私達は何をしているのでしょう。



私は 昨年一年かけて、焦点を相手ではなく自分に向ける訓練をする中

相手に対する不快感が起こった場合、それに対して、どう対処すればいいのか迷いました。

不快感が起きた理由を相手のせいだとするならば 焦点は相手にあり 
それでは、私の成長には繋がりません。

不快感が起きた理由を自分の中に探すとすれば・・

私はしばらく このことについて考えいて そしてある事に気づきました。

私が自分に禁止していることを平気でする人を見た時に嫌な感じがしたのです。


それは、私の中に存在するけれど 私が嫌っている性質。
上手に隠したはずなのに・・ 

それは、内側に押し込んだら外側に出てしまったかのように他人の姿を借りて目の前に現れた私のもの。

つまり、私は 相手に自分を投影していたのです。


投影しているとすれば
焦点を外にではなく自分に合わせることで私達は 
自分以外の誰かに 不快感・苛立ち・非難の気持ちを抱いた瞬間さえも 
自分の内面を知ることに使えるのです。



シャドウ・エフェクトシャドウ・エフェクト
(2011/01/25)
ディーパック・チョプラ、デビー・フォード 他

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そして、出会った本。 「シャドウ・エフェクト」という本です。

本を紹介する前に 皆様に一つ確認をとっておきたいのですが 
シャドウ(心の闇)とは 捨てたり消せたりするものではありません。

暗闇を知らずに光の存在を意識することは出来ません。
恐れを知っているから勇気が存在し 悲しみを知っているから喜びがわかる・・。 

私達が 知るためには、正反対の性質が両方存在することが必要なのです。



著者デビー・フォードさんが書かれた第二部には こう書かれていました。

・どんな人でも、すべて(自分が「良い」と考えているものも「悪い」と考えているものもすべて)を持っているのです。

・あなたが他人の中に見ているあらゆる性質があなた自身の中にも存在しています。


私達の中に すべての性質が存在するからこそ 
人は無償による愛による偉業も、破壊的な衝動による犯罪もどちらも起こすことができるのでしょう。


私はシャドウを使って自分を知りたいのです。

シャドウが何を意味しているのか・・
本の言葉をヒントに もう少し考えようと思います。(続きは次回に)



(以下、本文より抜粋)
・心理学者カール・ユングは「シャドウは、私達がなりたくないと考えている人を映し出している」と説いています。
あなたにもつい非難してしまいがちな家族や、見るだけで虫唾が走る政治家や有名人がいるはずです。
実はそういう人々にあなたの影の部分が映し出されているのです。

・「シャドウとは、私達が愛する人々から「隠したい」と思っている部分、「こういう一面があると思われたくない」と考えているものをひとまとめにしたものだ」という衝撃的な気づきに到達することになります。


実際、自分が他者をどう観察しているかに注目すれば 私達は自分自身のありのままの姿を見ることができます。
人は自分自身の性質を他者に投影するように出来ているのです。
これは別に悪いことではありません。現に、誰もが皆、常にそうしています。
自分が「いやだ」と思う性質を自分自身の中に認めるのではなく、自分以外の誰かに押しつけてしまうのです。
母親や子供、友人に投影することもあれば、一度も会ったことのない有名人に投影することもあります。
他人に対する非難や判断はすべて、結局は自分自身の中にある、自ら無視したり、否認してしまっている部分を表しています。
投影をしている最中、私たちはそういう性質を他者の中に見ているように考えていますが、
実際は自分自身に隠された一面を見つめているのです。

・他者の行動を批判するとき、私達は実はそれと同じ行動をとり、罪悪感を覚えているものなのです。


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感知プログラムと出会ってから3年半が経ちました。

そして最近、少しずつですが、因果が見えはじめて、
自分のつまづく箇所が見えてきたと同時に
人に対しても、今までは気にならなかった部分が見えてきました。

私は考えました。

見えたから・・といって指摘すれば、
相手からすれば、
「今までは何も言わなかったのに急に何?」といったところでしょう。

それに、

私は批判や非難がしたいわけではないのです。

だから、相手に対してこれからどう接していくのがいいのかな…としばらく考えていました。


私が出した答えは

結局、人は好きな人・自分に好意的な人の言うことに耳を傾ける、ということ。

相手から引き出されるものは、私次第だということ。


相手の反応を引き出すのは 結局、私のあり方なのだなとしみじみと思ったのです。


ですから、誰かに 何かを指摘する前に、自分に焦点を戻し、

「私は相手の事を好意的に思っているのだろうか?」と問うことにしました。



そんなことを考えていた時、

感知プログラムのこれからの講義内容を箇条書きにしたプリントが届きました。

そして、そのプリントの中に こんな文章が書かれていました。

(プリントより 一部抜粋)

一周した人にして初めて、人を指摘する資格が生まれる。
 それまではその逆。(「褒める」でなければならない。)
 ところが、皆、そのまた逆が大好きだ。
 指摘する事はテープ・音声ファイルに任せなさい。
 成功を早めたいなら、皆は褒める事だけ考えていれば良い。(世の中全体が逆さまだから。)
  貴方から学びたいという姿勢を相手が取り続けている信頼が成立している時のみ指摘は有効。
 頭の中からその様にスタートする事だ。
 指摘点を見つけるだけで、既にそれは態度・波動・オーラに出ている。
 どうしても知らしめたいなら、自らのその部分の失敗・気付きを体験談としてのみ語る事だ。
 相手は、自分もそうだと思ってくれるかもしれない。

マスターは、愛故に指摘出来る。
 修行者・学人・学徒は、愛を育む為に人を褒めなければならない。
 マスターの指摘は愛となるが、修行者のそれは単なる批判・非難にしか成り得ない。
 マスターやメンターのdoの真似をして、人はコケるワナがここにも有る。
 人を批判するにも資格というモノが宇宙的見地には在る。
 人生に於ける各パートその部分を完成させた人に於いてのみ、その部分にその資格がある。
 「愛はそれ自体が語る」のレベルに成った時、批判も非難も愛の表現の一環として出るだけ。
 学ぶ人の顛倒夢想、道徳のワナに入らない様に。



「一周した人にして初めて、人を指摘する資格が生まれる。 それまではその逆。」と言われて、
やっぱりそうなんだ…と納得しました。

とにかく、今の私に出来ることをやっていこうと思いました。


また、重見さんの滝部セミナー3月の講義タイトルは

「同類親和の法則から解る事」  
  (今一歩、奥深い自分の真実を知る。
  意識の光を射し込ませると言う事の本当の意味を理解しよう・・・それは「見る」と言う事。
  悪業・因縁・呪い等と言われるモノの類を自分の代で断つ。)


同類親和の法則・・ 
その言葉を目にしただけで 頭ではない心の奥の私が
「よくわかります・・そうなんです」と言いました。

最近 因果が見えてきたせいか 他者のことも見えてきたと書きましたが
その際に、類は友を呼ぶのだから・・とも考えていたからです。

そんなに大差ない・・どんぐりの背比べだと・・。



目に映っているすべてのモノが、私の内面を映し出している・・

そんな思いを馳せながら

周囲の風景や人を眺める時があります。


同類親和の法則を使って、自分を知るとはどういうことか・・ 

もっと考えてみようと思います。



ドキッとする言葉と出合いました。


「自己啓発を学ぶことを

パチンコを楽しむのと同じレベルで楽しんでいる人達がいる。」



石井裕之さんの言葉です。



以前から薄々感じていたことですが
ここまでの表現をされて、私は、やっとピンときました。


この分野を学ぶ人達をふたつに分けるとすれば
「成功法則を知りたい人」と「成功法則を実践し、成功していく人」

そして、今までの私は 「成功法則を知りたい人」でした。
 
知りたくて知りたくて…。
だけど知ったあとの次のアクションが少ない。


感知プログラムの重見幸俊さんからは こんな言葉を頂きました。

「アウトプットが、良い話を聞いた量以下の人は聞きボイトである。」



私は 間違った方向・循環に進んでいることに気付きました。


つまり、頭は次から次へと新しい刺激が欲しいのです。
(心が充たされないかぎり その欲求に終わりはありません)

新しい刺激を求め続けるといった意味では・・
自己啓発書を読むことも中毒になるのです。



自己啓発書の梯子も、流行りのダイエット話や健康法に飛びつく心理も
心の奥底には同じものが隠されています。

石井裕之氏いわく、それは、

「自分で努力しなくてもそれを手に入れることによってどうにかなるんじゃないかという幻想」


しかも 面向きには褒められる行為なので
お菓子の食べ過ぎやタバコ、パチンコと違い、罪悪感が伴いません。



本田直之氏も 「デキる人」の脳 の前書きで こう書かれていました。

自己啓発書を読めば モチベーションは上がり 気分は高まり
さらに「何かを得た」という満足感もあるので 読むこと自体が気持ちよく感じるでしょう。
だから 次の一冊に手が伸びます。
結果的に読めば読むほど、定期的に読んでいないと我慢ができなくなっていく。
言葉は悪いけど、ちょっとした中毒のようなものといえます。



また、脳と気持ちの整理術―意欲・実行・解決力を高める (生活人新書) で築山 節氏もこう記述されています。

興奮状態は意欲につながる
すばらしい人の話を聞いたり読んだりして、感銘を受け、「自分も頑張りたい」という衝動に駆られる。
つまり興奮状態は意欲につながる、と考えられるのです。
しかし その発生を外的な刺激に頼るのはやめた方がいいと思います。



後ろめたさのない中毒…。
自己啓発中毒は、たちが悪いです。

私には この傾向があると自覚しました。

自覚した以上、実践とアウトプットが私のこれからの課題です。


そして、こんなふうに
私達がいつの間にか作り上げている「~してるつもり」「出来ているつもり」

この、つもりの罠から如何に脱却できるかが、変容するための重要ポイントだと思っています。

感知プログラムは、それに気づける知性を育ててくれるので助かります。


自分の問題点に自ら気付いたとすれば 人から指摘を受けた時よりも認めるのは容易いです。

なんといっても、発見者は私ですから 認めて笑うしかありません。


どんな問題も 気付くことからがスタートです。


変化したいのなら 恐れずに 

自分の状態が今いかにあるかを冷静に客観的に見ること。


自分を正当化したい気持ちや 言い訳したい気持ちが出てきていることすら観察するのです。

我慢や抑圧は必要ありません。

ただ 見ることを 私はこれからも続けていきます。 



  
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