上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
感知プログラムと出会ってから3年半が経ちました。

そして最近、少しずつですが、因果が見えはじめて、
自分のつまづく箇所が見えてきたと同時に
人に対しても、今までは気にならなかった部分が見えてきました。

私は考えました。

見えたから・・といって指摘すれば、
相手からすれば、
「今までは何も言わなかったのに急に何?」といったところでしょう。

それに、

私は批判や非難がしたいわけではないのです。

だから、相手に対してこれからどう接していくのがいいのかな…としばらく考えていました。


私が出した答えは

結局、人は好きな人・自分に好意的な人の言うことに耳を傾ける、ということ。

相手から引き出されるものは、私次第だということ。


相手の反応を引き出すのは 結局、私のあり方なのだなとしみじみと思ったのです。


ですから、誰かに 何かを指摘する前に、自分に焦点を戻し、

「私は相手の事を好意的に思っているのだろうか?」と問うことにしました。



そんなことを考えていた時、

感知プログラムのこれからの講義内容を箇条書きにしたプリントが届きました。

そして、そのプリントの中に こんな文章が書かれていました。

(プリントより 一部抜粋)

一周した人にして初めて、人を指摘する資格が生まれる。
 それまではその逆。(「褒める」でなければならない。)
 ところが、皆、そのまた逆が大好きだ。
 指摘する事はテープ・音声ファイルに任せなさい。
 成功を早めたいなら、皆は褒める事だけ考えていれば良い。(世の中全体が逆さまだから。)
  貴方から学びたいという姿勢を相手が取り続けている信頼が成立している時のみ指摘は有効。
 頭の中からその様にスタートする事だ。
 指摘点を見つけるだけで、既にそれは態度・波動・オーラに出ている。
 どうしても知らしめたいなら、自らのその部分の失敗・気付きを体験談としてのみ語る事だ。
 相手は、自分もそうだと思ってくれるかもしれない。

マスターは、愛故に指摘出来る。
 修行者・学人・学徒は、愛を育む為に人を褒めなければならない。
 マスターの指摘は愛となるが、修行者のそれは単なる批判・非難にしか成り得ない。
 マスターやメンターのdoの真似をして、人はコケるワナがここにも有る。
 人を批判するにも資格というモノが宇宙的見地には在る。
 人生に於ける各パートその部分を完成させた人に於いてのみ、その部分にその資格がある。
 「愛はそれ自体が語る」のレベルに成った時、批判も非難も愛の表現の一環として出るだけ。
 学ぶ人の顛倒夢想、道徳のワナに入らない様に。



「一周した人にして初めて、人を指摘する資格が生まれる。 それまではその逆。」と言われて、
やっぱりそうなんだ…と納得しました。

とにかく、今の私に出来ることをやっていこうと思いました。


また、重見さんの滝部セミナー3月の講義タイトルは

「同類親和の法則から解る事」  
  (今一歩、奥深い自分の真実を知る。
  意識の光を射し込ませると言う事の本当の意味を理解しよう・・・それは「見る」と言う事。
  悪業・因縁・呪い等と言われるモノの類を自分の代で断つ。)


同類親和の法則・・ 
その言葉を目にしただけで 頭ではない心の奥の私が
「よくわかります・・そうなんです」と言いました。

最近 因果が見えてきたせいか 他者のことも見えてきたと書きましたが
その際に、類は友を呼ぶのだから・・とも考えていたからです。

そんなに大差ない・・どんぐりの背比べだと・・。



目に映っているすべてのモノが、私の内面を映し出している・・

そんな思いを馳せながら

周囲の風景や人を眺める時があります。


同類親和の法則を使って、自分を知るとはどういうことか・・ 

もっと考えてみようと思います。



  
コメント
コメントする












 管理者にだけ表示を許可する?

トラックバック
トラックバックURL
→http://kokorono3.blog23.fc2.com/tb.php/77-9a7ba753
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


     
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。