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ドキッとする言葉と出合いました。


「自己啓発を学ぶことを

パチンコを楽しむのと同じレベルで楽しんでいる人達がいる。」



石井裕之さんの言葉です。



以前から薄々感じていたことですが
ここまでの表現をされて、私は、やっとピンときました。


この分野を学ぶ人達をふたつに分けるとすれば
「成功法則を知りたい人」と「成功法則を実践し、成功していく人」

そして、今までの私は 「成功法則を知りたい人」でした。
 
知りたくて知りたくて…。
だけど知ったあとの次のアクションが少ない。


感知プログラムの重見幸俊さんからは こんな言葉を頂きました。

「アウトプットが、良い話を聞いた量以下の人は聞きボイトである。」



私は 間違った方向・循環に進んでいることに気付きました。


つまり、頭は次から次へと新しい刺激が欲しいのです。
(心が充たされないかぎり その欲求に終わりはありません)

新しい刺激を求め続けるといった意味では・・
自己啓発書を読むことも中毒になるのです。



自己啓発書の梯子も、流行りのダイエット話や健康法に飛びつく心理も
心の奥底には同じものが隠されています。

石井裕之氏いわく、それは、

「自分で努力しなくてもそれを手に入れることによってどうにかなるんじゃないかという幻想」


しかも 面向きには褒められる行為なので
お菓子の食べ過ぎやタバコ、パチンコと違い、罪悪感が伴いません。



本田直之氏も 「デキる人」の脳 の前書きで こう書かれていました。

自己啓発書を読めば モチベーションは上がり 気分は高まり
さらに「何かを得た」という満足感もあるので 読むこと自体が気持ちよく感じるでしょう。
だから 次の一冊に手が伸びます。
結果的に読めば読むほど、定期的に読んでいないと我慢ができなくなっていく。
言葉は悪いけど、ちょっとした中毒のようなものといえます。



また、脳と気持ちの整理術―意欲・実行・解決力を高める (生活人新書) で築山 節氏もこう記述されています。

興奮状態は意欲につながる
すばらしい人の話を聞いたり読んだりして、感銘を受け、「自分も頑張りたい」という衝動に駆られる。
つまり興奮状態は意欲につながる、と考えられるのです。
しかし その発生を外的な刺激に頼るのはやめた方がいいと思います。



後ろめたさのない中毒…。
自己啓発中毒は、たちが悪いです。

私には この傾向があると自覚しました。

自覚した以上、実践とアウトプットが私のこれからの課題です。


そして、こんなふうに
私達がいつの間にか作り上げている「~してるつもり」「出来ているつもり」

この、つもりの罠から如何に脱却できるかが、変容するための重要ポイントだと思っています。

感知プログラムは、それに気づける知性を育ててくれるので助かります。


自分の問題点に自ら気付いたとすれば 人から指摘を受けた時よりも認めるのは容易いです。

なんといっても、発見者は私ですから 認めて笑うしかありません。


どんな問題も 気付くことからがスタートです。


変化したいのなら 恐れずに 

自分の状態が今いかにあるかを冷静に客観的に見ること。


自分を正当化したい気持ちや 言い訳したい気持ちが出てきていることすら観察するのです。

我慢や抑圧は必要ありません。

ただ 見ることを 私はこれからも続けていきます。 



去年の目標は 「自分に起こった出来事を自分の問題として意識できるかどうか」


つまり 「相手を変えるのではなく、自分を変える」 という言葉を自分のものにするために
年間を通して続けていたことは

「私の焦点は(相手か私の)どちらを向いているか」 を つねに意識することにありました。



放っておくと、常に相手や外側の事象について、
勝手にアレコレと話し始める頭の声を牽制すべく、

「私は(相手の間違いを探し出して)正しくありたいのだろうか、それとも自分を変えたいのだろうか」
と自問し続けていました。


最初は曖昧だった意識も、
少しずつ、焦点は自分か相手かという部分においてのみですが、
気づける瞬間が増えていきました。

そして去年一年を通して、焦点が私から外れている瞬間を沢山眺めてきました。

そんな気づきの中、
意識しなければ、
焦点は自動的に外側・相手に向けられる
(責任転嫁される)のだな…ということがよくわかりました。

また、
自分のことが見えてくると他人のことも見えてくるというのは本当で、

最近は他の人の発言を聴く中にも、
その人の焦点がどちらに向いているか、
また、私の焦点をどちら側に向けさせようとしているのかが解るようになりました。

この部分が私の中ではっきりすると共に、他人の意見(分離側意識)に
巻き込まれなくなっているような気がしています。


そして

意識の焦点を自分に合わせることが出来始めたところで 

今年2011年の年間目標 

待望の自分の棚卸し「現状把握」に取り掛かろうと思います。


私の内側(精神)から外側(肉体・物質)の部分まで 

何を持っているのかを「知ろう」と思っています。

隠していても、あいまいにしていても あるものはあるのです。

あっても・・ 知らないことには手が打てません

だから まずは「知ること」「知ろうとすること」

知るための第一歩として 目で確認出来る状態にするのです。



詳細は また後日書きますね☆

久しぶりに記事を書いています。


ブログを書いていなかった間も 今までのペースを保って

感知プログラムは聴き続けていました。


この一年は 日々の気づきを、まとめた形で文章化することが出来ませんでしたが

今からは文章化していこうと思います。



現在、下関で開催されている重見幸俊さんのセミナーは 8年目に突入しています。

8年目のテーマは 「成功のためにすべきこと」

いよいよ実践編です。


実際に行動しようした瞬間や 新しい習慣を定着させるまでの過程で

無自覚・無意識に立ち上がる、

しないための言い訳や 自分の欠点から目を逸らすための自己弁護を

7年掛けて理論武装された顕在意識は見逃しません。


今からの実践・行動記録を記していきます。

お楽しみに♪





今日の職場にて。

作業場に掛けてあった日めくりカレンダーをふと見ると

この言葉が書かれていました。



「人間万事塞翁が馬」



このことわざの意味はなんでしょう。

それは・・

「人生は吉凶・禍福が予測できないことのたとえ。」 (広辞苑)


ここで言う人間とは人の間、つまり「人の世の中」を差し、塞翁というのは、砦の守衛の老人。
「世の中は全てが塞翁の馬のようである」という言葉。

話の内容を紹介すると・・
 
 中国のある国境で守衛をする老人がおり、老人は働き盛りの息子と馬と一緒に暮らしていた。
ある日、貴重な財産である馬が国境を越えて逃げて行ってしまった。
それを知った村人達は慰めてくれたが、
「そんなに悪いことではないかもしれない」と老人はあまり悔やんでいない。

しばらく時がたったある日のこと、逃げた馬が駿馬を連れて帰ってきた。
それを知った村人は喜んでくれたが、
老人は「いや、そんなにいいことではないかもしれない」と、
今度はあまり喜ばなかった。

数日後、駿馬に乗っていた息子が落馬してしまい足の骨を折ってしまった。
村人は見舞いに来て、老人を気遣った。
すると、また老人は「そんなに悪いことではないかもしれない」と語る。

その直後、緊張状態にあった隣国と戦争が始まり、その国のほとんどの若者は徴兵されたが、
老人の息子は骨折していたために徴兵されることはなかった。
戦況は厳しく、その時徴兵された若者のほとんどが帰ることはなかったが、老人の息子は命長らえた。


つまり、

人生 思いがけないことが幸運を招いたり、不幸に繋がったりして
誰にも予想はつかないということ。

また だから やたらと喜んだり悲しんだりしても始まらないということ。


を例えているのです。




私は この「人間万事塞翁が馬」という言葉を眺めながら
不思議な気持ちでいました。

ちょうど 似たようなことを考えていたからです。



最近の事ですが・・ 
私はある友人の言葉をきっかけに 私にとっての大きな気づきがありました。
私は友人のその言葉を聞く事ができたことに大変な幸運を感じているのですが
よくよく考えると あの日あの時友人と会う前段階には私にとっての不都合がありました。

本当はその日、私は別のところに行きたかったのです。

でもそれは叶わなかったので、かわりに友人の家に行っていたのです。


つまり 行きたい所にいけなくなったことは 
起こった瞬間は残念でもあり、不都合と感じていたことであったのに
今振り返ると 行けなくなった事が幸運の始まりなのです。
結局、あの時行けなくなったことは、後日とても良かったことになってしまったのです。
あの時行けなくなって本当に良かったなぁなんて・・今では心底思っているのです。


同じように 過去の辛い体験が 
数十年経った今、体験して良かったと思える出来事に変化したりしています。

あの経験があったからこそ今の自分が存在する。

そう思えたとき・・ 
その出来事を引き起こした自分に対する後悔の想いがきれいに消えました。

そして、その出来事を経験できたことに感謝の想いがわくようになったのです。



過去の出来事は変えることは出来ない。 

けれど 出来事に対しての解釈や思い・感情は変えられるのです。




「過去の不幸は現在の幸福にもなり、過去の幸福は現在の不幸にもなる。」

そう思えた時から・・ 
悪いと思える状況が訪れることに対しての不安感が減りました。

何かがこの先起こっても
「この体験も将来どっちに転ぶかわからないなぁ」と客観視が出来る気がしているのです。


そして今日、目に飛び込んできた「人間万事塞翁が馬」という文字が
その考えを後押ししてくれているように思えて楽しくなりました。




 世の中には、私の力ではどうしようもないことがありますね。

だけど、私しだいで変えられるものも確かにあるのです。



だったら、と

動かすことの出来ないものはそのままに
動かせるものに対してエネルギーを使おうと・・ 心が定まった気がしています。




今日の報告 
テープトレーニング 潜在能力感知開発プログラムへの招待②~⑤ 8H
読んだ本 自分から自由になれるゼロ思考 佐田弘幸

「自分が変わる」ということは・・ 本当はどういうことなのでしょうか?



潜在能力感知開発プログラムでは繰り返しこう言ってくれています。

質が変わらなければ 何をしても変わりません・・・と。

人生で大切なことは 何をするか(do)よりも どう在る(be)か・・・だと。



「自分が変わる」ということは 本当はどういうことなのか。

「質」を 「在り方」を変える ということは どういうことか。
 


そのことについて、考えさせてくれる映画がありました。 

今日はその映画を紹介したいと思います。





 
 映画 『恋はデジャブ』 の主人公 フィル・コナー(ビル・マーレイ)は嫌味な男です。

傲慢で 自惚れやで わがままで・・・

人生につねに不満を持っている(本人の自覚があるかは分かりませんが)不幸な男です。

その彼が ある日を境に 同じある一日(2月2日)を何度も何度も繰り返すことになるのです。


どういうわけか、毎朝起きると昨日と同じ2月2日・・

同じ時間にラジオから流れ出る同じ音楽で目覚め 同じ人から同じことを話しかけられる!?



理由はわかりませんが、どうやらフィルだけが同じ2月2日を繰り返し体験しているようなのです。

出会う人、起きる出来事、そのタイミング・・・

毎日が同じことの繰り返し。

これが何度も何度も繰り返されることになるのです。




 これは 非常に興味深い設定です。

(私はこのあらすじを聞いて無性に観てみたくなり レンタルビデオ屋に駆け込みました)


恋はデジャ・ブ [DVD]恋はデジャ・ブ [DVD]
(2005/06/22)
アンディ・マクドウェルビル・マーレー

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(先入感を持たずに映画を観たい方は ここから先の文章は読まないで下さいね。)





この状況設定下において

自由に行動できるのは 主人公の彼だけです。

つまり 変えることが出来るのは 彼の発言・彼の行動・彼以外にないという状況です。


もちろん同じ毎日でも 彼の発言や行動が変われば それに対する人々の反応は違います。

ただし 相手に記憶(過去と未来の認識)が残らない以上 

相手の人格などに影響を及ぼす力は彼にはありません。


つまり相手を変えることは彼には出来ないのです。



 主人公フィルはあまりにも退屈なので 自分の思いつくかぎりのことをやり始めます。

町の女性の好みを聞き出して 次の同じ日にそのネタを利用して運命に見せかけ口説き落としたり、

悪いことをしても罰を受けないことをいいことに盗みをしたり、

最初は そんなことを楽しんだりします。


けれど あらゆる手段を使っても口説き落とせない女性がいることも知ります。

同僚のリタを あの手この手を使って口説くのだけど 結局最後には振られるのです。

ようするに、あなたという人間が嫌いなの と言われてしまうのです。 が~ん

(いい女は 相手の男性の本質を見抜くのですね♪)



 容赦なく繰り返される同じ毎日・・・

しまいには 彼は絶望して自殺も試みます。

けれど、死ねません。

高層ビルから飛び降りたり、トラックの前に飛び出したり、感電したり・・

ありとあらゆる手段を用いても やっぱり死ねないのです。

生きる希望を失い、苦しみから逃れる最後の手段も奪われて・・

この時の彼の心境はまさに地獄だった事でしょう。


私は つねづね 絶望のどん底で人は変容への最大のチャンスの時を迎える と感じているのですが

絶望を経て、主人公フィルも 映画の中盤から変容していきます。



 彼は 出会う人々を大切に扱い、愛を配り始めたのです。


最初は試しに・・だったのかもしれません。

けれど 繰り返されるうちに彼は本当になってしまいました。

毎日毎日助ける方法を駆使しても 結局、最後には死んでしまう老人を
必死で助けようとする彼からは 偽善は感じられません。

そして 習いたかったピアノレッスンを受け始めたり、本を読み始めたりするのです。



何千回という同じ日を繰り返した彼は 

(監督の話ではフィルは最終的には3000回繰り返していたそう)

過去も未来も捨て、考えず、 今を懸命に生きることにしたのです。


たとえ明日、同じ日がやってくるとしても、

未来という日が永遠にやってこないとしても、

自分に与えられた 「今」 を精一杯生きることに決めたのです。



外側の世界(他人の反応や環境)に 何かを求めることを一切やめて

自分で自分自身を満たしはじめたとき・・

今を精一杯生きるということで 彼は・・・

人生を回復させたのです。



口説き落とせなかった同僚のリタも そんな彼をまじまじと見つめながら こう言います。

「あなた・・変わったわね。」



映画の後半からは、彼は本当に幸せそうでしたよ





 この映画からは 色々なことが学べます。


「私は ひとりでいても楽しい。」 

それがどういうことかが この映画に隠されています。



「大切なことは 何をするか(do)よりも どう在る(be)か」 

という意味もわかるかもしれません。


「質が変わらなければ 何をしても同じ」 

この言葉を感じることも出来るでしょう。


「相手を変えようとするよりも 自分を変えよう」

という言葉にも納得がいくかも知れません。




 「自分が変わる」ということの本質を この映画は教えてくれました。(名作です!)





今日の報告 

テープトレーニング 感知プログラムへの招待 1~5 10H
読書 変えれば、変わる 二-ル・ドナルド・ウォルシュ


ちなみに 町山智浩さんの町山智浩のアメリカ映画特電(ポッドキャスト)で
この映画についての興味深いお話を聴く事が出来ます。→http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20090212

どんな内容だったか知りたい方は 下の <More> をクリックして下さいね。



  
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